リエヴィト・マードレ保護協会会長に聞く、リエヴィト・マードレの話(前編)

2022年8月にイタリアで発足した「リフレッシュメントを行うリエヴィト・マードレ保護協会 Consorzio per la tutela del lievito madre da rinfresco」は、文字通り、リフレッシュメントによって育てるリエヴィト・マードレ(自家培養発酵種)を守ることを目的としています。リエヴィト・マードレは、パネットーネをはじめとするイタリアの伝統的な発酵菓子の土台となる重要な素材ですが、その存在が脅かされているという危機感から協会が誕生しました。初代会長を務めるのは、「パスティッチェリア・サルトーリ」のアンナ・サルトーリさん。リエヴィト・マードレと協会の活動についてお話を伺いました。

 

アンナ・サルトーリ Anna Sartori

ロンバルディア州コモ県エルバで、1956年に両親が始めた菓子店を2000年に引き継ぐ。農学部を卒業し、漢方の医食同源を学んだ経験を生かし、「人と食べ物と環境」の結びつきをテーマに、職人技術を活かした発酵菓子、ビスコッティ、ミニョン、ジェラート、チョコレート、ヨーグルトなどを手がけている。

 

 

リエヴィト・マードレとは?

穀物内に存在している酵母とバクテリアが自然に共生し、共同で力を発揮し、小麦を栄養素に発酵という作用を起こすもの。自然の力によるものであり、人間の役割は、その自然な作用=発酵がうまくいくように環境を整え、手助けすることです。この発酵が、生地を膨張させるわけですが、しかし、それが唯一の働きというわけではなく、これらの微生物は我々人間の体内にも存在し、そして健康を保つ重要な働きを担っていることがわかっています。
酵母とバクテリアは糖を摂取して澱粉を変性させ、ビタミンやミネラルの受容体となり、酵素を作り出し、さらに味わいにも大きく影響します。リフレッシュメントを行ったリエヴィト・マードレは、アロマティックという点において唯一無二の特徴をもたらすのです。実にマジカルな世界だと思います。
リエヴィト・マードレによる発酵(膨張)は、古来、小麦を栽培し利用する地域で発展してきました。イタリアにおいては特に南部でパン作り、北部では発酵菓子作りに利用されてきました。しかし、人は時に、先人が見出し、育ててきた技術を忘れたり失ってしまいます。それゆえ、保護協会を立ち上げて、その技術を守り、研究し、伝えようということになったのです。

具体的にどのような危機が起こっている?

リエヴィト・マードレという言葉を使う場合、一般的にはリフレッシュメントという作業を行っているという意味が含まれています。しかし、その作業はインダストリアル業界でも行われており、消費者にとっては、職人が行っている作業とどう違うのかが分かりづらいところがまず問題です。
さらに、実際に、リフレッシュメントを必要とするリエヴィト・マードレを使用しているのは、アルティジャナーレ(職人の手作り)とされる製品のわずか3%。つまり、97%は工場で調整されたリエヴィト加工品(リエヴィト・インダストリアル)を使ったものなのです。乾燥させたリエヴィト・マードレが加えられたミックス粉があれば、自分でリエヴィト・マードレを起こす必要がなく、リフレッシュメントも必要ありません。
しかも、そのミックス粉を使って作ったものは、リフレッシュメントを必要とするリエヴィト・マードレを使って作ったものと、ほとんど違いが感じられない。さらには、加工品を使って作ったものが、正しく仕込むことができなかったリエヴィト・マードレを使って作ったものより、良い出来になるということが起こりうるのです。
リエヴィト・マードレを扱うには、プロフェッショナルな技術が不可欠であり、そして正しいリエヴィト・マードレを保護する必要があります。現在、協会は42人の会員が、7つの大学の10人の教授と共同して、リエヴィト・マードレについての正しい知識を蓄積するための研究をし、正しい情報を消費者に伝えるべく活動を行っています。どれが良くてどれが良くない、ということではなく、まず、違いを理解することが保護への道だと考えています。

リエヴィト・マードレを保護することの意味は?

インダストリアルのおかげで技術が進歩し、多くの人が手頃な価格で製品を手にできるようになりました。一方、職人の世界はまた別に存在しています。クリエイティビティ、生物多様性、プロフェッショナルといった面において、価値を生み出しているのです。
リエヴィト・インダストリアルは非常に安定しており、優れた発酵力を持ち、職人がそれを使って作れば素晴らしい製品ができます。ただリエヴィト・マードレを自分で起こすことはしていない。そこで我々会員は、自分たちに疑問を投げかけることになります。わずか3%だけが自ら起こしたリエヴィト・マードレを使っていることにどんな意味があるのだろうか、研究する意味などあるだろうか、と。リエヴィト・マードレを起こし、育てることに、特に費用はかかりませんが、技術と忍耐が求められます。よく我々の間で笑い話のように出てくるのが、「今年はどれだけ捨てた?」という会話。望むような発酵ができずに捨てざるを得ないということは頻繁に起こります。
リエヴィト・マードレは環境と密接に結びついた自然の現象であり、生き物であり、場所によって性格も異なる、つまり生物多様性そのものです。リエヴィト・インダストリアルも個々に酵母やバクテリアの構成が異なりますが、安定化されているという点において決定的に違います。一方、リフレッシュメントを行うリエヴィト・マードレには環境やその場所の空気に深く結びついて生き残ってきた酵母やバクテリアが生きていて、しかも、気候にも密接に関係しており、夏になるとその性質を変えます。自然に合わせて変化し、出来上がる製品の“消化の良さ”を最適な状態に持ってくるのです。それは味わいとしてはあまり好ましくないかもしれません。しかし、自然は我々に何かを語りかけようとしているのです。こうしたことも協会では分析し、食べる人に伝えていかねばなりません。正しく理解してもらわなければ、我々の仕事はただ辛く大変なだけで終わってしまいます。

協会の具体的な保護活動は?

主に、分析とその結果の共有、情報発信を行なっています。共同研究を行なっている大学の研究室に会員のリエヴィト・マードレを送り、酵母とバクテリアのDNA解析にかけます。かつてのように顕微鏡でバクテリアや酵母を一つ一つ観察する必要はなく、DNA解析によって、それぞれのリエヴィト・マードレを地図的に配置することが可能となり、そのリエヴィト・マードレがどのような起源を持ち、どこで育ったのかを明確にすることができるようになったのです。この方法によってリエヴィト・インダストリアルかどうかを見極めることも可能になりました。ただし、焼き上がった製品からはリエヴィト・マードレ内に存在した酵母やバクテリアのDNAを解析することは不可能です。しかし、それはやっても意味がないことだと考えています。
我々にとって重要なのは、手間のかかるこの仕事になぜ情熱を傾けるのか、リフレッシュメントを行うリエヴィト・マードレがどのような特質を持っているのかといったことをいかにして消費者に伝えるかということ。とりわけ、まだこのリエヴィト・マードレについてあまり知られていない地域で、正しくその情報を伝えることができれば、よりピュアな形で発酵菓子の世界が広がっていくだろうと期待しています。

リフレッシュメントとは?

リエヴィト・マードレを生かし続けること、と同時に、作り手が作りたいと思うものを実現するために調整することです。基本は、リエヴィト・マードレと粉と水を合わせて練るという作業です。しかし、目的に応じて、作り手が工夫するため、そのレシピは個々に異なります。水の量、粉のタイプ、温度、そして最近わかったことですが、光も重要な要素です。光があるところで活躍するバクテリアもあれば、そうでないバクテリアもいる。つまり、非常に複雑なメカニズムを持ちながら環境に結びつき、職人によるリフレッシュメントの仕方、方法によってリエヴィト・マードレは異なる様相を見せるのです。

代々受け継がれたリエヴィト・マードレこそが最良?

リフレッシュメントを重ねて、親から子へと受け継がれるような長い時を経たリエヴィト・マードレこそが良いものであると言われることもありますが、それはある種の都市伝説的なものです。長年生き続けてきたリエヴィト・マードレの質そのものより、受け継がれてきた文化や技術という観点から称賛されるべきでしょう。実際に、リエヴィト・マードレは環境や気候、リフレッシュメントに使われる粉などによって、15日も経つとその内実は変化していることがわかっています。全く同じ条件、温度、水、粉といった要素を全て一定にしても、変化を防ぐことはとても難しいのです。
しかし、常に良い状態に保ち、自分の目指す良い製品を毎年作り出し、より良いものにしていくということはできます。時にお客さんから「今年のパネットーネは昨年のものよりもいい」と言われることがあります。これは安定化したリエヴィト・インダストリアルでは起こり得ません。レシピを変えることで、香りが良くなったり、生地の食感が良くなったり、時には失敗することもありますが、そこがインダストリアルとアルティジャナーレの決定的な違いなのです。

動物の胃腸や糞から採取したバクテリアがいれば良いリエヴィト・マードレになる?

仔牛の胃や仔羊の腸、牛や馬の糞からバクテリアを採取するというのは、その昔、チーズ作りにおいてより優れた菌を取り込みたいと工夫したことが、リエヴィト・マードレにも有効だと考える説になったと思われます。しかし、これも都市伝説の域です。実際に、動物の体内や排泄物内に生きるバクテリアは、その環境の外に持ち出すとほとんどが死滅し、小麦粉を練った生地の中では生きられません。パネットーネなどの発酵菓子の伝統とは無関係な言い伝えに過ぎず、また衛生の観点からも避けるべきです。リフレッシュメントはあくまでも自然な発酵を促すことが目的で、故意にバクテリアの数を増やそうとしたり、菌相を変えようとしてはいけません。

後編に続く